真庭市久世のエスパスホールにて『やまぶき』が公開された翌週、ビクトリィでは『もう1つのやまぶき』(山﨑樹一郎監督)を上映しました。
いわば『やまぶき side B 』とも言えるこの作品は、本編に登場するチャンスの妻、南をめぐる小さな物語。
『やまぶき』には描かれていないけれど、その向こう側で、南の人生が確かに流れていたという”リアル”。本編同様、数々のメタファーが用いられ、山﨑節が効いていました。
そんなでこの1週間、巷でずいぶん『やまぶき』ネタを耳にしました。
観客に説明しきらないストリー展開は、観る人に解釈の余地を大きく残します。そういう映画は、噛めば噛むほど味わい深い。みんな「わからない」と言いながら、自分はこう思った、あれはなんだったんだ、など話題は尽きないようでした。
そんな中で『やまぶき』という映画体験は、詩を読むことに似ていると思いました。重層的に転がるように展開する映像は、詩における言葉として。詩というものは、行間や言葉の間から、矛盾しているようだけれど言葉に収まらないものが立ち上がってくる。この『やまぶき』も映像では直接語られなかったことが、後から後から滲み出てくる。そんな気がいたしました。(支配人)