「どうしても地下に潜ってしまう」


映画「セノーテ」より            

 

8月22日と23日、小田香監督「セノーテ」を上映しました。
メキシコのマヤ遺跡である泉(セノーテ)をテーマにしたこの作品は、第1回大島渚賞を受賞。非常に見応えのある映画でした。小さな閉じた空間で全身で観るような体験もすごかった。

古代マヤ人にとって命の源であるセノーテは、水が絶えることがないよう生贄が捧げられる聖地であり、あの世へ通ずる場でもあったといいます。
映画では、そんな場所に恐ろしい死のイメージを抱きながらも日常的に水浴びを楽しむ現代人の様子が映し出されます。水中から人間たちをみつめるその目は、まるで泉に棲む何者かのまなざしのよう。世界の表裏をひっくり返すように執拗に続く水中映像に、時折差し挟まれる地上の日常風景。死を感じ、畏怖の念を抱きながらセノーテとともに暮らす人々の顔には、時空を超えた人間の本質的な姿が刻まれているようでした。

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 上映後は、小田香監督と山﨑樹一郎氏による映画対談。撮影の技術的な話(驚き!)も面白かったけれど、監督の制作意図は、みんなが気になったことだったようで。色々な角度からとんでくる参加者からのたくさんの質問の末、監督の口からこぼれた言葉は「どうしても地下に潜ってしまうんです」。監督は人間の営みの痕跡を捉えていきたいという。映像人類学の分野から「セノーテ」が語られることが多いようだけれど、監督自身としては人類学的視点から描いたわけではないという。むしろもっとある意味生理的で、個人的な探究心からこの作品が生まれたということに驚きつつも、何にも捉われない自由さを感じました。映画全体に染み出しているのは、監督自身が経験して身体に刻んだ、セノーテにまつわる時間の厚みなのだ。それはちょっととんでもないことかもしれません。

現在小田監督は、新作を国内で撮られているとのこと。次回作が楽しみです。(s)

 

 

どうもありがとうございました!

 

 

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